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2020年 野球殿堂入り発表!
エキスパート表彰からは田淵 幸一氏が新たに殿堂入りとなりました。また、特別表彰委員会からは前田 祐吉氏石井 連藏氏が新たに殿堂入りとなりました。
これで野球殿堂入りは207名となりました。

田淵 幸一 たぶち こういち

生年月日: 1946年9月24日
出身地: 東京都
出身校: 法政一高 - 法政大
履歴・球歴
法政一高
法政大
1969〜1978年 阪神
1979〜1984年 西武
1990〜1992年 ダイエー監督
2002〜2003年 阪神コーチ
2008年 北京五輪日本代表コーチ
2011〜2012年 楽天コーチ


実働16シーズン 捕手、指名打者 右投右打
1739試合 5881打数 1532安打 474本塁打 1135打点
打率.260

最優秀新人(1969)
最多本塁打(1975)
正力賞(1983)
ベストナイン5回
ゴールデングラブ賞2回
オールスター11回

監督成績
 3年 390試合 151勝230敗9分 勝率.396

法政大学では、当時の東京六大学野球リーグ最多記録となる通算22本塁打を放ち、1968年ドラフト1位で阪神に入団する。1年目の69年には、117試合に出場し、22本塁打を放つ活躍で新人王を獲得。75年には、43本塁打を放ち本塁打王に輝き、王貞治の14年連続本塁打王を阻止した。79年に西武に移籍すると、82年、83年のリーグ優勝、日本一に貢献し、83年には正力松太郎賞を受賞。通算474本塁打はNPB歴代11位の記録。引退後は、ダイエーの監督、阪神、楽天のコーチを歴任し、08年には北京五輪日本代表のコーチを務めた。


前田 祐吉 まえだ ゆうきち

生年月日: 1930年9月22日
出身地: 高知県
出身校: 高知県立高知城東中 - 慶應義塾大
履歴・球歴
高知県立高知城東中
慶應義塾大
1953〜1959年 ニッポンビール(現在のサッポロビール)
1960〜1965年 慶應義塾大学監督
1982〜1993年 慶應義塾大学監督
1997〜2006年 アジア野球連盟 事務局長


慶應義塾大学在学中、投手・外野手として活躍し、3度の優勝を果たす。卒業後、ニッポンビールに進むと、選手として4回、監督として1回都市対抗野球大会に出場した。1960年に慶應義塾大学の監督に就任すると、その年秋の「早慶六連戦」を指揮。82年に再度監督に就任し、85年秋にはリーグ戦10勝無敗での優勝を飾る。96年、アトランタ・オリンピックでは、全日本アマチュア野球連盟強化対策委員長として銀メダル獲得に貢献。97年からは、アジア野球連盟事務局長として、野球途上国の支援や中古の野球道具の寄付を行うなど、野球の普及に貢献した。


石井 連藏 いしい れんぞう

生年月日: 1932年6月26日
出身地: 茨城県
出身校: 茨城県立水戸一高 - 早稲田大
履歴・球歴
茨城県立水戸一高
早稲田大
1955〜1956年 日本鋼管

1957〜1963年

早稲田大学コーチ、監督

1965〜1993年

朝日新聞社

1988〜1994年

早稲田大学監督


早稲田大学では、4年次に主将を務め、秋季リーグでは首位打者・打点の二冠を獲得し、優勝に貢献した。日本鋼管に進むと、第27回都市対抗野球大会に日本石油の補強選手として出場し、チームの初優勝に貢献。58年に早稲田大学の監督に就任し、60年秋には「早慶六連戦」を制し、優勝に導く。72年、朝日新聞社在籍時に、生原昭宏氏の協力を仰ぎ、日米大学野球選手権大会の実現に尽力。88年に早稲田大学の監督に復帰し、90年春に優勝。全日本大学野球連盟、日本学生野球協会の要職を務め、少年野球育成にも携わるなど、アマチュア野球の発展に尽力した。



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