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平成29年野球殿堂入り発表!
競技者表彰委員会・プレーヤー表彰からは伊東 勤氏が、エキスパート表彰からは星野 仙一氏平松 政次氏が新たに殿堂入りとなりました。また、特別表彰委員会からは故・郷司 裕氏故・鈴木 美嶺氏が新たに殿堂入りとなりました。
これで野球殿堂入りは197名となりました。

伊東 勤 いとう つとむ

生年月日: 1962年8月29日
出身地: 熊本県
出身校: 熊本工 - 所沢高
履歴・球歴
熊本工
所沢高
 
1982〜2003年  西武
2004〜2007年  西武監督
2012年  韓国・斗山ベアーズ ヘッドコーチ
2013年〜現在  ロッテ監督

プロ野球(実働22シーズン 捕手 右投右打)
2379試合 7050打数 1738安打 811打点 156本塁打
打率.247
ベストナイン10回
ゴールデングラブ賞11回
通算最多犠打305 パ記録
捕手・シーズン最高守備率 1.000(1997、2003) パ記録
捕手・最多連続守備機会無失策(シーズン)
943(1997.4.5〜10.12) パ記録
捕手・最多連続守備機会無失策(連続シーズン)
1263(1996.9.7〜1998.5.27) パ記録
オールスター16回
正力賞1回(2004)

熊本工時代の1980年に夏の甲子園大会に出場し、ベスト16。
81年ドラフト1位で西武に入団。3年目からレギュラーとなり、80年代〜90年代の西武黄金期を支える捕手となる。パ・リーグ記録となる連続守備機会無失策の堅守と、投手の力を最大限に引き出すリードで、チームのリーグ優勝14回、日本一8回に貢献した。
捕手としてベストナイン10回は、野村克也氏に次いで2位、ゴールデングラブ賞11回は捕手で最多。

星野 仙一 ほしの せんいち

生年月日: 1947年1月22日
出身地: 岡山県
出身校: 明治大学
履歴・球歴
倉敷商
明治大学
 
1969〜1982年  中日
1987〜1991年  中日監督
1996〜2001年  中日監督
2002〜2003年  阪神監督
2008年  北京五輪日本代表監督
2011〜2014年  楽天監督

プロ野球(実働14シーズン 投手 右投右打)
500試合 146勝121敗 2128.2回 1225奪三振 防御率3.60
最高勝率1回(1975) 最多セーブ1回(1974)
沢村賞1回(1974)
防御率ベストテン入り3回 オールスター6回

監督成績
17年 2277試合 1181勝1043敗53分 勝率.531
リーグ優勝4回
日本一1回
正力賞2回(2003、2013)

1968年ドラフト1位で中日に入団。現役時代は、闘志あふれる投球で人気を集めた。先発、救援とフル回転の活躍で、74年のリーグ優勝に大きく貢献し沢村賞を受賞した。
中日監督として、88、99年と2回リーグ優勝。2003年は阪神を18年ぶりのリーグ優勝に導いた。11年から楽天の監督となり、13年には球団創設9年目のチームを初の日本一に導いた。監督成績1181勝は歴代10位。現・楽天球団取締役副会長。


平松 政次 ひらまつ まさじ

生年月日: 1947年9月19日
出身地: 岡山県
出身校: 岡山東商
履歴・球歴
岡山東商
日本石油
 
1967〜1984年  大洋

プロ野球(実働18シーズン 投手 右投右打)
635試合 201勝196敗 3360.2回 2045奪三振
防御率3.31
最優秀防御率1回(1979)
最多勝利2回(1970、71)
最優秀投手2回(1970、71)
沢村賞1回(1970)
ベストナイン2回
防御率ベストテン入り4回
オールスター8回

1965年の選抜大会に岡山東商のエースとして出場し、優勝。
社会人野球の日本石油に進み、67年の都市対抗で優勝に貢献し橋戸賞を獲得した。66年の第2次ドラフトで2位指名され、67年都市対抗後に大洋に入団。69年から12年連続2桁勝利をあげ、70年には25勝19敗、6完封、防御率1.95で沢村賞獲得。「カミソリ・シュート」を武器にエースとして活躍、大洋球団初の200勝投手となった。通算201勝のうち51勝を巨人からあげ、「巨人キラー」と言われた。大洋一筋18年、先発・抑えで活躍した。


郷司 裕 ごうし ひろし

生年月日: 1932年1月19日
没年月日: 2006年12月12日
出身地: 北海道
出身校: 明治大学
履歴・球歴
明治高校
明治大学
 
1950〜1954年  明治大学
1954〜1957年、1962〜1983年  東京六大学野球連盟審判員
1964〜1983年  全国高等学校野球選手権大会、選抜高等学校野球大会審判員
1984〜2006年  東京六大学野球連盟規則委員
1984〜1995年、1998〜2000年  東京六大学野球連盟審判技術顧問
1991〜1996年  日本野球連盟規則・審判専門委員会委員
1995〜2001年  日本野球規則委員会編纂委員
1999年度  朝日スポーツ賞を受賞

高校在学中に、野球部監督だった島岡吉郎氏から審判員になることを勧められ、以後高校、大学、社会人での数多くの試合で審判員を務める。
1964年から選手権大会の審判員となり、69年選手権の松山商対三沢の決勝戦、では決勝、再試合で球審を務めるなど、春は16回、夏も15回決勝戦の審判員を務めた。都市対抗野球では、69年の天覧試合や決勝でも球審を務めた。
引退後も審判員の技術向上や後進の指導にも力をいれ、アマチュア野球界の発展に貢献した。


鈴木 美嶺 すずき みれい

生年月日: 1921年9月3日
没年月日: 1991年10月11日
出身地: 兵庫県
出身校: 東京帝国大学
履歴・球歴
熱田中学
第八高等学校
東京帝国大学
 
1946〜1949年  東京六大学野球審判員
1954〜1961年  東京六大学野球連盟規則委員
1955〜1991年  日本野球規則委員会編纂委員
1968〜1991年  東京六大学野球連盟公式記録員

1955年12月に、プロ野球とアマチュア野球の代表者が集まり、それまで別々に発行されていた「規則書」の合同化を決定した。鈴木氏は、その編纂委員として参画。規則書の執筆担当者の一人として、プロ・アマの規則書が初めて統一された「1956年度公認野球規則」を発行した。以降亡くなるまでの長い間「公認野球規則」制作の中心的役割を果たす。
毎日新聞記者としても活躍。「野球難問解答集」、「わかりやすい公認野球規則」、「野球ルール千夜一夜」などの規則書を著し、難しい野球のルールをわかりやすく説明し、野球規則の正しい理解、普及に尽力した。


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